
責任転嫁とプロの仕事
私は仕事柄多くの経営者にお会いしますが、もちろん多くの従業員の方にもお会いします。経営者と従業員の方で役割はもちろん違いますが、それぞれの仕事としてのプロであることが必要であると思います。
このプロとしてのレベルの違いが、会社の業績に影響してくると思います。
少人数でも業績の良い会社はプロ野球のチームに似ていると思います。プロ野球チームはプロの集団です。毎年何人もの新人が入ってきますが、激烈な生存競争の中で生き残ったものがレギュラーになっていきます。投手でも、上から投げる人、横から投げる人、下から投げる人など様々ですが、共通しているのは実力があるということです。プロの中でも選手の努力・能力やチームとしての育成力などが優劣を決めていきます。大変厳しい世界です。また、言い訳も責任転嫁もしない世界がそこにはあります。ただ、実力の世界であり、実力がないことはすべて本人が受け止める。チームが弱いのはチームの責任者が受け止める。その結果、プロは高額の報酬が約束されているともいえます。もちろん競技の人気がベースではありますが。
もちろん会社経営はプロ野球ではありません。業績拡大のために人員の増加が必要になってくるケースが多いためです。
ただ、プロの精神がなくなるといわゆる大企業病になっていきます。セクショナリズムがはびこり、他のセクションの事は関係ない。これは自分の仕事ではない。業績が悪いのは経営の問題。日本の経済力低下の背景にあると思います。
すべて責任転嫁です。社内でこれだけの責任転嫁が行われているとお客様との関係でも起きるものです。
「あの会社は積極性がないから駄目だ」といった言葉が会社で出ていませんか?
本当はそのように言っている本人が消極的なのです。
責任転嫁は実は自分の能力が低いことを証明しているものです。
平気で責任転嫁が起きている日本の会社。いつからこうなったのか昔からこうなのかはよく分かりませんが、批判能力が突出して行動力がなくなってしまった日本人と同様の問題があると思います。
プロは言い訳できない。プロは精一杯の努力をしなければならない。プロは勝ち抜かなければならない。
当たり前のことをもう一度振り返らなければならないのは、悲しいものがあります。
貴方の会社にはプロがいますか?
貴方はプロですか?
「必死」の努力に「神様」は手を差し伸べる
読者の皆様。平成二十二年がスタートしましたがいかがお過ごしでしょうか。
今年は日本経済も、日本企業も昨年に引き続いていわゆる踏ん張りどころだと思います。
経済環境に関しては大きな好転は望めないと考えるのが自然ではないかと思います。
では中小企業はどうすればいいのでしょうか?
マクロ的には、ニミユニクロがはやる時代だといわれています。
つまり、日本で規格、中国など海外で生産、それを輸入して国内生産よりも安く販売する。今までもこの方法は通常であったと思いますが、新たなノウハウによりさらにレベルアップしているということでしょうか(実は私はよく理解できていません)。
個々の会社や個人を見ると、今まで以上に働かなければならないと思います。元々、日本人は良く働らいていていたとも思われますが、休日の増加などで、中国などと比較しても全然労働時間は不足しています。また、日本人の労働力はどちらかというと物作りに適していると思いますので、絶対的な労働時間は必要な国民だと思います。物作りに携わる日本人に中流として国家も会社も処遇してきたのが現実です。素晴らしい国家ではなかったかと思います。
ただ、現状では物作りの実力も他の国家がからに追いついてきていると思います。この追いつかれている状況で労働時間を増やさなければ追い抜かれるのは間違いないと思います。
一方で、物作り的な発想からの脱却も今後要求されてくるのかもしれません。要するに1対多数でのビジネスのケースで、多数を圧倒できる発想力、行動力という感じです(抽象的ですが)。もちろん今までのこのような発想がなかったというわけではなく、国家の教育レベルからの取り組みの強化が必要のような気がしています。
要するに質・量ともに労働力の向上が不可欠という事になるのではないでしょうか。
個人にかえってみると、質・量の労働力の向上、いわゆる「必死」の努力が必要と考えています。高杉良の「炎の経営者」には次のような内容が書かれています。日本触媒の創業者が、会社の創設時に資金繰りに苦しんでいた時に、八幡製鉄から出資を受ける話です。八幡製鉄の経営者が夜行列車に乗るとの情報をキャッチして、前席を確保して、世間話からスタートして、最後は出資のお願いをするという場面ですが、私はいつもこの場面を思い浮かべながら「必死」の努力とはこのようなものだろうと思っています。
「必死」の努力に「神様」は手を差し伸べる。
皆さんの今年の「必死」の努力は何ですか?